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simpleA記

馬にふつまに 負ほせ持て

アナール学派とデジカメ

シンプル デジタル保存

その昔、アナール学派*1って呼ばれた人たちがいた。(今もいるかも)


語弊満載でシンプルに説明すると、こーいうこと。

私たちは、歴史の授業で、何年にどんな事件が発生した、だの、何年にどこの国がどこの国と戦争をした、だの、うだうだと習います。


んだけど、私たちの歴史ってのは、そんな大事件の連続なのでしょか?戦争ばっかしてたんでしょか?


ちゃうでー。(少なくとも、庶民はちゃうでー)


普段、朝起きて、メシ食って、働いて、休憩して、喜怒哀楽して、恋して、別れて、夜寝て、ってなことを繰り返して、生きてんの。


んだったら、歴史ってのは、そんな単調な日々を知ることじゃーないのかな。


それまでの歴史学ってのは、大事件ばっかりに注目して、庶民の単調な日々を忘れちゃってたんだけど、アナール学派は、それじゃーあかん、ということを言い出したんだよ。


ってな感じで、アナール学派ってのは、歴史学において、ちょっとしたイノベーションをもたらした(かもしんない)の。何度か言ってるよーに、「イノベーション」ってのは、「それまでの惰性を断ち切って、新しい世界に踏み出すこと」なんよ。その意味において、アナール学派ってのは、がんばったの。名前だけでも覚えてあげてね。


さて、(分かりやすくなるかどーかは別として)、今にたとえてみましょ。


デジカメが普及してるでしょ。フィルムのカメラと違って、たくさんくだらない写真を撮っちゃうでしょ。


フィルムのカメラの時代はね、一本のフィルムで撮れる枚数が少なかったりしたから、写真ってのがそれなりに貴重だったの。なので、必然的に、集合写真だとか、ここぞ、という場面でしかシャッターを押さなかった(はず)。


ところが、デジカメだと、普通に使ってれば数百枚は撮れるだろうし、ブログや写真共有サイトなどにアップして、みんなですぐに楽しめるから、つい、そこらじゅうで、そこらへんのものを撮っちゃう、っていう具合。


私の子どもの頃の写真ってのは、フィルムの写真しかなかったから、イベントの写真オンリーなわけ。やれ、誕生日だ、運動会だ、入学式だ、云々。


ところが、私の生きてきた人生ってのは、そんなイベントの連続だったのでしょか?


ちゃうでー。(少なくとも、庶民の私はちゃうでー)


普段、朝起きて、メシ食って、学校行って、休憩して、喜怒哀楽して、恋して、別れて、夜寝て、ってなことを繰り返して、生きてきたの。一応。


今なら、デジカメ持ってんので、「正装して、カメラに向かって、スマイルしてる写真」だけじゃーなくて、日々の何気ないヒトコマを写真として残しておけるよねー。たくさんくだらない写真を撮っちゃうよー。


ってなわけで、結局何が言いたいのかって言うと、「たいていの人は過去の自分の写真を見ると、イベントの写真ばっかだから、それが人生だと勘違いしちゃう(かもしんない)の*2。でも、普通に考えれば、イベントだけを生きてきたわけじゃーない。最近デジカメが普及して、それをネットにアップして、ということが普通になってきたから、私たちは普段の何気ない生活*3を、少しは尊重し始めた(かも)。アナール学派とデジカメってのが私たちに残した最大のものは、この普段の何気ない生活ってのが、一番価値ある歴史(≒思い出)なんだよーってことを思い出させてくれたことかーもしれない」ってこと。

*1:[wikipedia:アナール学派]

*2:もちろん、他に日記などをつけてれば、写真が全てではなーい。だけど、そんなこたー、別の機会に考えましょ。

*3:例えば、今日食べたもの、見かけた看板などなど