simpleA記

馬にふつまに 負ほせ持て

イミと一分(いちぶん)その2

(前回(http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090202)より続く)


そもそも、「武士の一分」と言うときの「一分(いちぶん)」っちゅうのは、

「譲ることの出来ない一身の面目、名誉」。有り体に言えば、「メンツ(面子)」や「体面」とほぼ同義だが、もっと重々しく、古風な響きがする


http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20070110

らしい。


まぁ、シンプルに言えば、「最後の最後で譲ることのできないライン≒自分らしさ≒信念」みたいなもんだろーと考える。


さて、ちょい前に「自由ってのは、身勝手に何しても構わん」という意味じゃーないよ、って話をした。
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090122


ところが、ここには、実は2つの側面があーる。


ひとつは、「御免」に代表されるように、社会的なルール*1として、「みんなが身勝手にやりてーことしちゃったら、世の中、大変でしょぉー」的な側面。おそらく、大半の人は、「自由って言ったって、身勝手に何してもいいわけない」と文句たれるとき、念頭に置いてんのは、この社会的ルールの側面と思われる。(ありきたりでつまらん側面)


もうひとつは、今回テーマとしてる「一分」に代表されるような、個人的な規律として、「仮に世間が何やっても構わんと言ったって、オレには、譲れなねぇ信念っちゅうもんがあんだよ」的な側面。この側面から、身勝手な行動を批判する場合は、「あんたらは、そんなことして、恥ずかしくないのか?」と言うんだろー。*2


今回、スナックの開店待ちっちゅうことで、琴似駅近くの居酒屋*3で、よっしー(id:future-human)と比嘉ちゃん(id:Ryu-Higa)と私の3人で、1時間強の会議をした。


そんときに、私は、simple Aの「一分」について、

simple Aっちゅうのは、ちっぽけな会社で、吹かずとも吹っ飛ぶ、チリのよーな存在なんよ。だが、イッチョマエに、会社としての「一分」ってもんがあって、単に稼げりゃいいってなもんじゃーなく、simple Aらしさを保つ規律っちゅうもんを持ってんよ

ってな話をした。実際には、もっと具体的な話をしたんだけど、こんなところに書けませーんな内容なので、割愛。


そう、札幌の西方の小さな町で、九州や中部から集合した二人を相手に、何が伝えたかったのかっちゅうと、「一分」を忘れるな、ってこと。最後の最後で譲れないラインはどこにあるのか、それを忘れるなってこと。それだけ。


世間一般の流行に遅れることなく、よっしーも比嘉ちゃんも、・・・(次回へ続く)

*1:いつものごとく、厳密な議論じゃーないので、腹八分目で読んでね

*2:まぁ、たいてい、あー恥ずかしくないさ、と開き直りの回答が返ってくるもんですが

*3:ちなみに、つぼ八、発祥の地らしい