イミと一分(いちぶん)その1
札幌と言えば、すすきの。ならば、オレはすすきのなんぞには行かん!
これを巷で「反骨精神*1」と呼ぶ。
(予備知識)
反骨精神とはどんな精神でしょうか?それはいいことでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410009149
そうなんよ。反骨精神というのは、時には必要なの。そして、時にはいいことかもしんないの。
1月25日〜27日に仕事の関係で、札幌に行ってきたんだけど、中部からよっしー(id:future-human)、九州から比嘉ちゃん(id:Ryu-Higa)もかけつけた。
よっしーも、比嘉ちゃんも、オレも、宿泊ホテルは、すすきの隣接地域。というより、もろ「すすきの」。
しかし、狸小路の名高いラーメンを食した後、タクシーに乗り込み、オレたちゃー琴似(ことに)という駅*2へ向かった。目指すは、琴似のスナック「大使館」。
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琴似って、札幌関係者以外の人は、あんまし聞いたことないでしょ?そりゃそーだ。普通の観光客は、琴似なんぞへは行かない。その前に琴似なんぞ知らない。
ならば、何ゆえ、この琴似を目指したのかっちゅうと、それがオレたちの反・骨・精・神なんだよってわけ。
19:00くらいに琴似についたら、スナックするにはちょいと早すぎた。なので、駅近くの居酒屋ふる里本店に入って、さっそく会議。どっからどー見ても、地元の人に囲まれてる。「比嘉」と「金城」といえば、沖縄で多い苗字のトップ2(かな?)。そんな沖縄コンビが、地元の人々に囲まれちゃってる。でも、用心棒として、デカいよっしーがいるので、安心。
さて、札幌集合の数日前、
比嘉ちゃんは、「意味」にこだわっていた。
http://d.hatena.ne.jp/Ryu-Higa/20090121/1232641056
よっしーは、「武士の一分」を見たらしい。
http://twitter.com/kazu_yoshioka/status/1144367683
言葉は違えど、「意味」も「一分」も、同じことだ。(少なくとも、オレにとっては)
比嘉ちゃんは、「意味」という言葉で、
物事が他との連関において持つ価値や重要さ
という感じの「イミ」にこだわっていて、おそらく、
自分が他人との関係において持つ価値や重要さ
というのを、あれこれ考えているんだろー、と推し量る。
一方、よっしーは、オレの書いたhttp://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090122を受けて、「武士の一分」を見たらしい。
今まで、キムタクのことを、なめてました
と打ち明けたよっしーは、おそらく、あの場面で涙を流したんだろー、と推し量る。
そもそも、「武士の一分」と言うときの「一分(いちぶん)」っちゅうのは・・・(次回へ続く)