あきらめるなよ、って言うんだけど、
よくね、「最後まであきらめるな」って言葉を聞くわけ。でもね、最後ってどこなの?ひょっとして死んじゃうまで?(そりゃ、ちょいと大変だな)
逆に、「いさぎよい」って考え方もあって、いつまで経ってもあきらめないことも、これまた問題らしい。(まったく、乙女心と秋の空だぁ)
どっちにしろ、世間は結果論。うだうだやり続けて、良い結果が出れば、「最後まで、よーくがんばった、えらい」。悪い結果が出れば、「いつまでそんなことやってんだ」。逆に、やめだ、やめーっと放り投げて、良い結果なると、「よく決断した、あっぱれ」、悪い結果なると、「辛抱が足りん」。
なので、あきらめても、あきらめなくても、みーんな結果見て、ほめたり、ケチつけたりすんの。だから、そーんなのほっときゃいいの。
しかーし!そんでも、若い衆*1は、どっかであきらめるタイミングっちゅうか、基準っちゅうもんを持ってないといかーん(かもしんない)。だって、何かはじめたら、成功するか、または死ぬまで、やり続けなきゃあかん、って言われたら、そりゃ、大変よー。たいてい(はっきり)成功なんてしないんだから。むしろ失敗は失敗でもいいの。そっからの・・・・
実は、これ、シュッポロで話さなかったこと。今回のシュッポロ、学生さんたちにお話するものとして、3バージョンを用意してたよ。当日集まった人の様子をみて、あのバージョン(名づけてAバージョン)を選んだの。そんで、今日は、そんとき、選ばれなかったBバージョンの話をすんよ。Cバージョンについては、気が向いたときに。
さっそく、あきらめのタイミングを考えるために、筋トレの話しましょ。
ベンチプレスってやったことある?やってみな。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8c/Bench_press.gif/800px-Bench_press.gif
- まず、バーベルを持ち上げるまで、うだうだして、あれこれ考える
- エィッとバーベルを持ち上げ、上下に運動を開始する
- だんだん疲れてきて、「あと1回くらいでいいかな」と頭の中が騒ぎはじめる
- 腕がプルプル震え、顔が赤くなる
- もはや持ち上げることができなくなり、胸の上で、かろうじてバーベルを支える
- 補助してくれてる人が、「カモーン!」と叫び、はっと我に帰る
- 最後の力を振り絞り、バーベルを持ち上げる
- 補助してくれてる人が、「もう一回!」と叫び、「まじかよー」と心でつぶやく
- 腕がプルプルしながら、ゆっくりとバーベルをおろす
- ふたたび持ち上げようとすると、力が入らず、胸の上に、バーベルがズシン
- 補助してくれてる人が少し持ち上げるのを手伝ってくれると、バーベルを持ち上げるパワーがよみがえる
- ホントに最後の力を振り絞り、バーベルを持ち上げる
- 補助してくれてる人が、「もう一回!」と鬼の一声、「こいつ、後で殺してやる」と心で誓う
- 腕が凄くプルプルしながら、ゆっくりとバーベルをおろすが、途中、崩れそうになり、補助してくれてる人がバランスを直してくれる
- 持ち上げようとしても、もはや力の入れ方さえ分からず、胸でバーベル支えてる
- 補助してくれてる人が持ち上げるのを手伝ってくれるが、自分は持ち上げてるか、それともバーベルにぶら下がってるのか、分からなくなる
- 補助してくれてる人がバーベルをフックに掛けてくれて、「グッジョブ!」と言ってくれる
- 全身がプルプルしているが、補助してくれてる人への殺意は消え、感謝してる
- またしばらく、うだうだして、あれこれ考える
- エィッとバーベルを持ち上げ、・・・・
っとまぁ、個人差はあれ、おおよそこんな流れなわけ。
そんで、一般論として、
1のうだうだは、けっこう長いわけ*2。ここを早く通過しましょ。
3の段階であきらめる人がいるんだけど、これは絶対にあかん。言い訳人生だから。
5の段階であきらめる人がいるんだけど、これは体が自然に持ってる防衛反応だから、ある意味仕方ない。
8の段階であきらめる人がいるんだけど、ここも絶対にあかん。言い訳人生だから。
10の段階であきらめる人がいるんだけど、ここまで来ればほめてあげたい、でも同時にもうひとふんばりしてほしい。
13の段階であきらめる人がいるんだけど、ここも絶対にあかん。言い訳人生だから。
15、16の段階まで来たら、もういいよ、「最後」までやりぬいたよ。
ってなわけで、結局何が言いたいのかってーと、「若い衆よ、言い訳人生を送るなよー。補助してくれる人を探せよー*3。そして16まで行ってこーい。「自分は持ち上げてるか、それともバーベルにぶら下がってるのか、分からなくなる」ってことがきっと実感できて、それを「限界」って呼ぶんだね、って分かるから」ってこと。