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simpleA記

馬にふつまに 負ほせ持て

向うの勝手で色など塗られてはかなわぬ

数年前(http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20081113)、小林さんを引用した。

信ずるってことは責任をとることです。僕は間違って信ずるかもしれませんよ。万人のごとく考えないんだからね、僕は。僕流に考えるんですから。もちろん僕は間違います。でも責任はとります。それが信ずることなんです。 


小林秀雄講演 第2巻―信ずることと考えること [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)


この小林さんが、どんくらい「僕流に考え」てんのか、そして、どんくらい「万人のごとく考えない」のか、ちょっと見てみましょ。


小林さんと言えば、「モーツァルト」なんですが、その中で、

[ランゲっちゅう人が描いたモーツァルトの肖像画は、]絵は未完成だし、決して上手とは言えぬが、真面目で、無駄がなく、見ていると何んとも言えぬ魅力を感じて来る。


p.30 (モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

という感想を書いてる。ここまでなら、どこが「僕流に考え」てんのか、さっぱり分からん。


ところが、続けて読んでいくと、ひっくり返る。

原画はザルツブルグにあるのだそうだが、一生見られそうもないものなど、見たいとも思わぬ。写真版から、こちらの勝手で、適当な色彩を想像しているのに、向うの勝手で色など塗られてはかなわぬという気さえもして来る。


pp.30-31 (モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

というわけで、よーするに、(ウソかホントか知らんけど)

  1. ランゲの描いた肖像画の実物を見たことがないだけでなく、
  2. 見たいとも思ってなく、
  3. さらに、万が一、小林さんの想像と異なる色をしていたとしても、そんなの知ったこっちゃない、と思ってて、
  4. 極めつけに、「オレの想像の色と違う色をしてるなんてことあったら、迷惑だ」

とまで言ってるわけやね。


確かに、「僕流に考え」てるし、「万人のごとく考えない」ね、この人は。


こーいう話をすると、おおかた、こんな反応に出くわす。

小林さんは天才だから、こんな感じで「僕流に考え」ることができるのであって、凡人(万人)の僕には到底無理な話だ


まぁ、それはそーなんだろー。凡人ブレーキを踏んだままでは、天才アクセルをいくら踏んでも、前には進まないもんだ。なので、踏みとどまりたい人は、そーしてればいいんじゃーないかと思う。


ただ、一歩でも、二歩でも、なりふり構わず、前進してみたいんだー、という変なやつがいたならば、まずは「僕流に考え」るところから始めるってのは、凡人でも簡単にできる第一ステップのよーな気がすんよ。


僕流に考えるってことは、ぜーんぜん難しいことではなく、思っちゃったことを、そのまんま口にしちゃえば、いーだけ。だって、そー思っちゃったんだもん、しゃーないじゃん。それがたとえ、間違ってるって誰かに言われたって、そんなこと知ったこっちゃーないよ。「こちらの勝手で、適当な色彩を想像しているのに、向うの勝手で色など塗られてはかなわぬ」くらいの心意気でいーんだよ。


結局何が言いたいのかっちゅうと、「僕流に考えるってことは、当然、間違う可能性が出てくるわけやね。その責任はとらないとね。その僕流に考え、間違え、責任を取るってサイクルが、「信ずる」ことであって、このサイクルこそが、一歩二歩、前に進んでいく唯一のアクセルかもね」ってこと。