simpleA記

馬にふつまに 負ほせ持て

照らされて輝かされているうちは本物ではない?


朝5時の、西の空には、真っ白な月がいた。
しかも、(ほぼ)真ん丸の。


なので、月について、考えた。


青木さんはこう記す。

月はただ 太陽に照らされているだけの デクの坊やで(p.295)


太陽に照らされて輝かされているうちは本物ではない(p.292)


ナニワ金融道 なんでもゼニ儲けや! (講談社プラスアルファ文庫)

ナニワ金融道 なんでもゼニ儲けや! (講談社プラスアルファ文庫)


これ読んで、「おー、オレも本物になるぞ!オレも自分で輝ける太陽になろう!」と思うのは、正しい。ワシも若いころ、そー思ったもんじゃ*1


ところが、太陽にも寿命ってもんがあるらしー。*2するってーと、いつかは燃え尽きるか、大爆発を起こすか、二つに一つだ。


どのみち、いつかは輝きを失って、月みたいな(照らされる)側になるなら、大してイバレたもんじゃーあるまい。


そーすっと、実は、「照らされて輝かされている」から「デクの坊」だと蔑まれた月ってのも、そんなに悪くはない。むしろ、他人の力を利用して、輝いているわけで、巷では、それをレバリッジと呼んでて、重要な戦略の一つだね。


さらに、ポジショニングさえ間違えなければ*3、太陽の寿命と同じ長さだけ、光り輝くことができんだよ。


そのまたついでに、太陽ってのは、いくつかあるわけで、それを渡り歩けば、1個の太陽よりも、長ーい間、光り輝くことができんだよ。


ってなわけで、結局何が言いたいのかっちゅうと、「太陽と月、どっちを目指すのか、ってのは、戦略上、重要な決断のひとつだと思うよ。世を眺めると、一般的には、「太陽を目指す人と、それを諦めて渋々月で留まる人」が大半を占めてるよーな気がするよ。でも、月というのは、そんなに悪くない戦略で、「月を意識的に目指す人」ってのが、もっといても良いんじゃーないでしょか」ってこと。

*1:あらかじめ、お断りしておきますが、以下の内容は、青木さんの主張に対するものではなく、こっちの論点を明確にするために、わざわざ、青木さんの主張を曲解したもんなので、勘違いせんといてね。「ナニワ金融道 なんでもゼニ儲けや!」はとっても良い本なので、必読やで。

*2:http://www.stelab.nagoya-u.ac.jp/ste-www1/naze/sun/sun02.html

*3:例えば、私たちの知ってる「お月さん」は、たまに、地球の影に入ってしまって、輝かない時間があるでしょ。http://www.ny.airnet.ne.jp/satoh/lightandshadow.htm