どうして逃げるのか、そして、どこへ向かってトウソウするのか (前半)
1年半くらいまえ、「自由」について、お話したんだけど、読んだことあるかしら?
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090117
要は、
「自由」って言葉は、FreedomとかLibertyという西洋語の訳語なんだけど、実は、ぼくたち、この意味、ちっとも理解してませんねー。
ってこと。
そんで、とりあえず、小難しいことはすっ飛ばして、今日のところは、FreedomとかLibertyっちゅうのは、「自主*1」や「御免*2」という意味で、おおらかに言って、「とりあえず、みんなの迷惑にならん限り、そんくらい自分で決めてもいいよ」ってことだとゆーことにして、応用編に進みます。
さて、日本国憲法第22条第1項に行きましょ。(唐突ですが・・・)
何人も、公共の福祉に反しない限り、・・・職業選択の自由を有する。
とまぁ、翻訳すると、「他人に迷惑かけないんだったら、好きな仕事してええよ」ってこと。」お仕事なんて、自分で決めていいよ、って憲法に書いてあんの。
ところがね、フロムっておっさんの話をかいつまんで鵜呑みすると、こーいうことにならんかしら?*3
- 作者: 日高六郎,エーリッヒ・フロム
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「何を仕事にしてもいいんだよ」って言われてんのに、キミは、そんなに自主的に仕事を決めれない。それは、経済的理由かもしんない。能力のせいかもしんない。
何はともかく、キミは、何やってもいい「自主や御免」を獲得したが,・・・(結局は、思い通りにならんじゃーないかっちゅう)無力感にさらされることにもなったわけだ。*4
何やってもいいって言われてて、やりたい夢があるのに、世の中そんなうまくいかない、って感じで自己実現が阻まれるとき、一種の(精神的な)危機に陥る。この危機は・・・権威への従属と自己の自由を否定する権威主義に向かうことになる。*5
つまりだね、自分で決めていいって言われても、どうせ最終的には(経済的な理由や能力の問題で)実現しないことが多いわけさ。そんな経験から、もー自分であれこれ考えるのやめるよ、お上が全部決めちくれ、僕は、どこまでも従うでちゅっていう態度ができあがっちゃうんだそーだ。
そんで、さらにこの態度はエスカレートして、「僕をもっともっといぢめてぇ〜」というちょっと変態な領域に突入してしまうらしー。*6
フロムっておっさんは、このことを、「自由からの逃走」と名付けた。つまり、政府からどんなにひどいことされても、まだ、へらへらしてるマゾ国民がいるとしたら、それは、「自由に伴う無力感から必死に逃げてる」だけなんだとさ。
フロムは、さらに続けて、自由に伴う無力感から「逃走」ばっかしてないで、「闘争」しなさーいと言ってるよーに、思うよ。
なら、おれたち、どうやって闘えばいいの?ってところを、後半として、次回書くはず。
ってなわけで、ここまでで何が言いたいのかっちゅうと、
何でも自分で決めてやっていいよって言われんのが、一番、残酷なんよ。
だって、結局、思い通り行かんだもん、この世の中。
そんな、キミの挫折や失望が、キミを変態にしちゃう。「もっと、いぢめてぇ〜」と思わず、言っちゃうの。
でも、それは、逃げてる(逃走)だけで、何の解決にもならん。闘わなくちゃー(闘争)。
トウソウの意味を間違えちゃーいかんよ。フロムは、闘い方を教えたる、って言ってるよ*7
ってこと。
*1:個人的には、これが一番適してるって思うんやけどねぇ
*2:念のため、もう一度いっとくけど、「ごめん」ってあやまってんじゃーないからね。http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090122参照
*3:http://www.amazon.co.jp/dp/4488006515
*4:http://note.masm.jp/%BC%AB%CD%B3%A4%AB%A4%E9%A4%CE%C6%A8%C1%F6/
*6:彼によれば神経症や権威主義やサディズム・マゾヒズムは人間性が開花されないときに起こるし、これを倫理的な破綻だとした。[wikipedia:エーリヒ・フロム] マゾさんたちを変態呼ばれして、ごめんなさーい。でも、ちょっと変よ。
*7:それが有効かどうか知らんけどw