僕たちは、もはや、不足しているから求めているわけではない
新年ですねー
定型あいさつは省略して、さっそく、飛ばしていきましょー
私、矛盾したこと、平気でいいます。日課になってんの。
たとえば、昨年は、
とにかく、何をするにも時間がないんだ
と叫んでみた。
けど、今日は、
僕たちの最大の問題は、時間があまりまくってることにあるんだ
ということを言いたいわけさ。
しばし、おつきあいを。
その昔、バタイユという人がいたわけ。
彼の職業は、「図書館のおっさん」やね。
そして、このおっさんは、ヒマをもてあまして、あれこれと考え事をしてたわけ。*1
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,出口裕弘
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1998/06
- メディア: 単行本
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彼の書いたものとして、こんな本があるので、ヒマなら、読んでみてもいいけど、十中八九、「意味分かんね〜」と思うはず。「分かる、分かる、その通りだよー」なんて、共感しちゃった人には、良い病院を紹介しますので、ゆっくり休んでください。*2
さて、ここからは、経済学のお話です。
いつものごとく、学説史として、正確であるわけではないので*3、テキトーに理解しといてほしーんでちゅが、バタイユってのは、経済学に対して、巨大な批判をしたんだよ。
経済学ってのは、今も昔も、基本的には、「有限な資源をどうやって配分しましょーね」ってことを考えてるの。僕たち、時間がないでしょ。だから、その貴重な時間を、何に使うのが一番いいかね?寝る?食べる?遊ぶ?学ぶ?
ところが、バタイユは、「ちゃうでー」と言ったの。
僕たち、基本的に、何もかも、ありすぎちゃって、コマってんじゃないの?あまったもんを、どうやって、処分(蕩尽)するか、ってので、テンテコ舞いなんじゃーないの?
バタイユの考え方、「アメリカ人」を例に紹介しましょ。(コチョーしてますので、アメリカ人さん、怒らないでね)
「アメリカ人」は、よく走ります。
でも、その理由がおもろいです。
たくさん食べたから、走るんです。
よく考えてください。
経済学が対象としている「まともな人間」というのは、「腹減ったので、狩りをするために走り回り、つかまえたドーブツ食べ、昼寝する」という順番です。
ところが、「アメリカ人」、とにかく食べる。*4
食べて、飲んで、腹が出てきて、走りだす。
つまり、「アメリカ人」の行動は、これまでの経済学では、理解不能なんですぅ。
(まともな人間)腹減る>狩りで走る>食べる>寝る
(アメリカ人)食べる>腹が出る>走る
わたしゃ、ここで、「アメリカ人」が「まともな人間」じゃーないってことを言いたいんじゃーなくて、むしろ逆で、経済学が想定している「まともな人間」ってのは、「アメリカ人」みたいな普通の人間に、当てはまらないじゃーないか、という方ね。(勘違いして、怒ってんじゃーねーぞ!)
そんなこんなで、バタイユは、
われわれは、・・・お腹が空いたから食事をし、淋しいから人を求める、と思い込んでいる。しかし人間の根本は、このような必要性の理論からは説明できない非合理なものだ。
http://www.geocities.jp/ittokutomano/norowareta.html
http://ittokutomano.blogspot.jp/2012/01/blog-post_13.html
らしきことを主張するわけさ。つまりだね、
僕たちは、もはや、不足しているから求めているわけではない
ってこと。
本題に戻すと、
とにかく、何をするにも時間がないんだ
なんて、何をネボケたことを言ってるんだー
僕たちの最大の問題は、時間があまりまくってることにあるんだ
ってことになる。
僕たちの人生がね、ホンマに、20年しかないんヤったら、今みたいなボケーっとした人生を歩んでいるか?
人生が20年しかないんだったら、一瞬一瞬が、真剣勝負だぞ。正月に食っちゃ寝ーしてる場合じゃーない。
ところが、僕たち、80年も生きなくちゃならんわけで、そりゃー、だらけるし、将来に備えて、うんちゃらかんちゃらもしなくちゃならんわけさ。
なので、僕たちのだらだらした人生の根源は、80年間もいきなきゃならん、その長さに問題があるんだべ。
ってなわけで、新年そーそー、結局何が言いたいのかっちゅうと、
今更、人生を20年に戻してくれ、とお願いしてもしゃーない。
ならば、僕ら、80年の人生でもダラダラしない、シマリある人生を生きなきゃね。
そのためには、2つの戦術がある(と思う)。
- とにかく、ムボーな挑戦をし続けること
- 次に、どうして、1年という区切りがあり、さらに1か月という区切りがあり、1週間という区切りがあり、1日という区切りがあり、1時間という区切りがあり、1分という区切りがあり、1秒という区切りがあるのか、この人類の大発明を、再認識して、ありがたがること
というもの。
今年は、この路線で、いろいろと書いていくつもりだよ
ってこと。ご清聴ありがとうございました。あけおめ。
*1:名古屋にも、似たような「おっさん(id:keitabando)」がいますが、今年は、何をしでかしてくれるか、楽しみですね
*2:英語版「Inner Experience」が一番、分かりやすくなっていますので、どーしても、挑戦してみたい人は、英語版からとりかかるべし。フランス語原文は、最悪です。
*3:さらに、バタイユの評価としても、あってるよん、とは言い切れない可能性がなきにしもあらず、かもしれないので、まぁ、ウノミにすんなっちゅーの
*4:アメリカの日本食レストランで「とんかつ」注文すると、とんかつらしきものが、3枚くらい出てくる。1枚で十分だと、最初は思うんだけど、だんだん、3枚が普通になる