妄想するなよー
(今回は、よみがながとても重要なの。邪魔くさいかもしんないけど、許してね)
前回(http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20110204)、Keita Bando(id:keitabando)は皇帝ノートン1世と一緒で、誇大妄想(もうそう)な偉人である、と紹介したの。
どこが偉大なのかっちゅうと、
彼の奇矯な振る舞いにも拘らず、また実際の精神状態とも無関係に、忘れてはならないのは、皇帝ノートン1世が時として予見的発想を示しており皇帝勅令は少なからず彼の視野の広さを示しているということである。
つまり、
彼の奇矯な振る舞いにも拘らず、また実際の精神状態とも無関係に、忘れてはならないのは、Keita Bandoが時として予見的発想を示しておりMyOpenArchiveは少なからず彼の視野の広さを示しているということである。
というわけで、両者とも結果オーライな先見性を持ってたってとこやね。
さて、禅ってのがあるらしーですね。
禅には、「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉があるよ。*2
重要なので確認しておくと、皇帝Keitaは、妄想(もうそう)癖で、禅は、妄想(もうぞう)ね。音が濁りますぅ。
「莫妄想」ってのは、「妄想(もうぞう)する莫(な)かれ!」ってこと。
皇帝Keitaの妄想(もうそう)とは、
一般的には実体のない虚妄の想念のことで、色気、食い気、欲気などの邪念、空想、迷心
って意味だね。彼のつぶやきを見てれば、納得ですね。
ところが、禅においては、
私たちは、生死、善悪、是非、勝敗など、二つの相対する概念を作り出し、自分は果たして今どっちなのかってことに苦しみ、迷うのですが、この二つに分けて考えちゃう、その心が妄想(もうぞう)なのじゃー*3
って感じで考えるらしー。
そして、「妄想(もうぞう)する莫(な)かれ!」ってのは、妄想禁止ってことだけど、その示すおおよその意味は、
生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、全身全霊を挙して一心不乱にやり貫けというのです。「よく学び、よく遊ぶ」といいますが、勉強のときは勉強一途に、遊ぶときはただ遊ぶだけ、そのものになり切っていく
というようなことだぞー。
つまり、
妄想(もうそう)上等*4! 皇帝Keitaよ、どんどん妄想(もうそう)して、前に進んでいけよー!
そして、皇帝Keitaの妄想(もうそう)を揶揄する連中よ、「この期に及んで何を妄想(もうぞう)をかいているのだ!」
と言えるわけやね。これが、妄想(もうそう)と妄想(もうぞう)の関係です。
ってなわけで、結局何が言いたいのかっちゅうと、
今年冒頭、http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20110104で、好色一代男という作品は、
一人の男性(世之介)の好色で自由気ままな人生を活写することにより、庶民男性の一つの理想的な生き方を描きだす
ってことを強調したんだけど、これこそ、「遊ぶときはただ遊ぶだけ、そのものになり切っていく」という「莫妄想」の一つの形なのよね。
さらに、「そのものになり切っていく」ってのが重要で、それは、http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20110128で言ったよーに、「無駄なことをしないように吟味してから行動に移してたんじゃー、ただでさえ、足りない時間に拍車がかかって足りなくなって、本末テントーだよ」ってことにつながっていて、是非にこだわることなく、全身全霊を挙して一心不乱にやり貫け、と禅の和尚さんも言ってるよ。
何事も、中途半端はやめようぜ
ってこと。
(番外)
というわけで、今回のタイトルの読みは、濁るか濁らないのか、もうお分かりね?