simpleA記

馬にふつまに 負ほせ持て

「ほっけ」リタラシーを身につける


もし、海の中で「ほっけ*1」が私の目の前を泳いでいたとしても、私は気づかない。なぜなら、私の知ってる「ほっけ」は、居酒屋の焼き魚だけだから。泳いでる姿なんて、見たことないもん。「ほっけ」ってホントに泳げるの?


これが、「リテラシーがない」ってことの意味なんよ。カタカナで書いてるから、偉そーに見えるけど、要は、「経験したことないから、分からんよー」ってことでしょ。


何を隠そー、私は「ほっけ」リタラシーがない。だけど、じゃ、どうなるかって言うと、とりあえず、普段の生活には困らない。だって、スーパーに行けば、ちゃんと「ほっけ」ってラベルが貼ってあるし、居酒屋行けば、メニューに「ほっけ」と書いてあるから。


じゃ、どんなときに困るかって言うと、異常事態が発生して、スーパーなんてなくなっちゃって、自分で海もぐって、「ほっけ」でも捕まえないといけなくなった時くらいかな。


じゃ、そんな緊急事態に備えて、「ほっけ」リタラシーを身につけるためには、何をすればいいのか?


これは意外に長い道のりだ。「ほっけ」を識別するってことは、「ほっけ」だけを知ってりゃいい、ってなもんじゃーない。よーく考えてみー。「ほっけ」に似た魚が出没するかもしんないし、「ほっけ」っぽくない「ほっけ」がいるかもしれない。


「ほっけ」を知るためには、その周辺(≒境界線)を知る必要があるわけ。そんでこの周辺を知る、ってのが曲者で、キリがないんだなぁ。


毎日コツコツと「ほっけ」周辺になじんでいれば、特に問題ないんだけど、私みたいに何十年も「ほっけ」とは無関係の生活をしてきちゃうと、この遅れを取り戻すのは、並大抵のことじゃ、できない。


今さら、「ほっけ」にどっぷり浸かった生活ができるかっちゅうと、それもできん。この年になると、あれも、これもしなくちゃならんくて、とてもじゃーないけど、「ほっけ」だけにかまけてる場合じゃーない。でも、そんな中途半端な態度じゃー、「ほっけ」リテラシーは身につかんってなことは、火を見るより明らか。


なので、「ほっけ」リタラシーを身につけようと思ったら、かなりの覚悟で取り掛かるべし。それか、子供の頃から、「ほっけ」と慣れ慣れしく接するべし。


ってなわけで、結局何が言いたいのかって言うと、「リテラシーってのはやっかいなもんで、リテラシーがない」と分かったときには、時すでに遅し。後からリテラシーを身につけるなんて、とてもじゃーないけど、できっこない。そういう環境に育たないと、どーしよーもない側面がある。なのに、英語くらい話せないとね、とか、PCくらい扱えないとさ、なんてこと言うやつがいるから、とっても不安になっちゃうよ。でも、よく考えてみよー。「ほっけ」を見分けることができなくて、何が困る?たかが「ほっけ」だよ」ってこと。

*1:[wikipedia:ホッケ]