あけてまして
気付いたら、正月も半分が過ぎてた。遅ればせながら、今年も再開しましょ。
今年もまた、いろんなとこ行って、いろんな人に会うよ。
さて、新年ということで、ちょっぴし変わったところから始めましょ。
- 作者: 穂積陳重
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1980/01/16
- メディア: 文庫
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こんなモンを読んだことあるかしらん?
読んだことない人は、青空さんで読めます*1。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000301/card1872.html
「ほうそうやわ」ってタイトルのホンで、穂積陳重(ほづみ のぶしげ)というじいさんが書いたモンです*2。
じいさんについては、こちらを見てみましょ。wikipedia:穂積陳重
シンプルに説明すれば、
穂積さんは「日本民法の父」って呼ばれてて、民法という「私たちの生活のルール」を作った人なんよ。
だから、こういうじいさんが何を考えて、民法っちゅうもんを作ったのか、ってのを知ることは、普段の生活の中で、何気なく使ってる言葉や、暗黙のルールについて、あらためて考え直す「きっかけ」を与えてくれる(かもよ)。
ということ。
そんなじいさんの「法窓夜話」は100個の短編から構成されてんだけど、今日はひとつだけ、紹介しておきましょ。
第58章は、「自由」というお題。
青空さんじゃないけど、こちらを。http://web.kyoto-inet.or.jp/people/t-shinya/yowa58.html
みんなさん、「自由」って何?(1分でもいいので、自分なりの考えを整理してから、続きにいきましょ)
穂積さんは、私たちが普段使う「自由」のおおもとは、このあたりじゃなーい、と語る。
福沢諭吉先生が慶応二年に出版せられた「西洋事情」にも[FreedomやLibertyという英単語に対して]「自由」という訳字を用いられ、それより広く行わるるようになった
ところが、
古来一定の意義を有する通用語をかつて日本になかった思想に当てようとしたのであるから、先生[福沢さん]もその説明によほど苦心された
というわけで、シンプルに言っちゃうと、「福沢さんは困った。当時の「西洋事情」を説明しようとすると、FreedomやLibertyというキーワードを翻訳しなくちゃならん。だけど、ぴったしな日本語がなーい。だって、日本には、当時(今もだけど)、FreedomやLibertyという考え方そのものがないんだもーん」ってことらしい。
福沢さんはマジメだったんだね。今みたいに、テキトーにカタカナ語で濁して、「フリーダムがさ・・・」「リバティーがよ、・・・・」とやってれば良かったのに。
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/index.html
さて、wikipedia:自由によると、「自由」の由来は、
福沢諭吉がリバティを訳するに際して、仏教用語より「自由」を選んだ。初めは、「御免」と訳す予定であったが、上意の意味が濃すぎると考え、あらためた。
となっていて、その他にも、福沢さんは、
自主、自尊、自得、自若、自主宰、任意、寛容、従容
などの訳語を考えてみたんだけど、どれもしっくりこんなー、と思ってたらしーよ。
いくらなんでも、「御免」は有り得ないだろー、と思った人は、こちらを見てみましょ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010373920?fr=rcmd_chie_detail
なんとなく、分かるよーな気がしない?
ここ重要!
福沢さんはLibertyの訳語として、渋々、「自由」を使った。でも、他にも候補として「御免」があった。ということは、西洋のLibertyという考え方は、「自由」と「御免」を足して2で割ったあたりの意味(かもしんない)*3。さらに、「自主、自尊、自得、自若、自主宰、任意、寛容、従容」なんて候補もあったとすると、それらを全部足し合わせて、頭数で割ったあたりが、Libertyのホントーの意味(かもねー)。
というわけで、結局何が言いたいのかって言うと、「職業選択の自由だとか、表現の自由だとか、うんちゃらかんちゃら言ってるけど、自由って何さ?そんなときは、じいさんに聞いてみよう。こういうときこそ、古臭いホンを(オンラインで)読んでみよ。そして、今日から、職業選択の御免、とか、表現の御免、とか使ってみてねー、鬼平みたいでステキ」ってこと。