キミは、派手な煙の向こうに何を見るか
こんなこと書くと、勘違いして怒る人現れるだろから、あえて、書いときましょ。
- 作者: 白洲正子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1999/03/02
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「大切なものは目に見えない(http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20120629)」なんて話をする場合、青山二郎を忘れちゃいけないね。
二郎ちゃん知らん人は、こっち見よ wikipedia:青山二郎
いつものごとく、チョーシンプルに説明すると、
青山二郎というのは、いままで日本に生きていた人の中で、「何をやっていたのか、分からない」度で、一番の人
ということ。
彼の自宅には、夜な夜な、すげー面々*1が集まり、くだらん話をしていたという。*2
だから、あえて問おー。「いまさらなぜ青山二郎なのか?」
短い文章で、どこまで言えるか分からんけど、答えてきましょう。
松岡君、言います。
利休の根本思想には茶道も礼儀もなく、その“なさかげん”が茶碗に残ったというふうに見た。
二郎ちゃんも理解不能なら、松岡君も理解不能ですね。
なので、翻訳すると、
みんな、すぐに、形式にこだわります。固執すると言ってもいいでしょね。
なぜなら、自分の薄っぺらさを隠すためです。
利休という人がいたのですが、彼は違った。「茶道」だとか「礼儀」だとかゆー、くだらんもんが、一切見当たらない。そーゆー、形ばかりのもんが、全くない。
その“なさかげん”が、利休のすごいところなんやね、と二郎ちゃんが言ってるね、と松岡君は紹介しとんよ
ということですね。
ってなわけで、結局何申すものかと申すと、
水窪ってところで、飲み会してきました。
そこには、「形式」も「目的」も「礼儀」も何もなかった。その“なさかげん”が、「単なる飲み会」のすごいところなんやね。
そして、その“なさかげん”こそが「いまさらなぜ青山二郎なのか」という問いへの答えであり、そして、大激動の今を生きるために、ヒツヨーなんかなぁ、と思うわけよ
(写真)
http://www.flickr.com/photos/omoon/sets/72157630379235344/
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.4016831974825.2170798.1102111549&type=1&l=17be60e6e7
(レポート)
http://d.hatena.ne.jp/satts/20120701/1341150204
http://d.hatena.ne.jp/sap0220/20120701/p1
http://d.hatena.ne.jp/rinta6u/20120702/1341196790
http://d.hatena.ne.jp/kotar0321/20120701/1341155286
ってことでござる。*3