なぜ「世界と無意識」が「横丁と思い出」に対立すんのか?
中沢さんって人がいて、その人の本について、松岡さんって人があれこれ語るの。おもろいけど、いろんな予備知識がヒツヨーなので、深入りしないほーがいい。なので、さらっといこう。
松岡さんいわく。
「世界と無意識」を信頼する中沢に対して、ぼくはのっけから逸脱して「横丁と思い出」を信頼しているということでもあったろう。
ね、わけわからんでしょ。そもそも、なんで「世界と無意識」が「横丁と思い出」に対立すんでしょね?そこんとこを、じゅんぐり 見て行きましょ。(要注意:語弊ゾーン突入)
中沢さんを簡単にまとめると、こういうこと。
人間、ホントは純粋なの。
でも、生きてると、いろんなアカがついて、汚れるの。
だから、何か人生で躓いたら、シャワーでも浴びて、全部アカを洗い流して、純粋無垢な状態から再スタートを切りましょ*1
ところが、松岡さんは、シャワーなんて浴びるなよー、と反論すんの。
おい、まて。純粋な人間なんて、いないっちゅーの。
アカだと思うから、汚いもの、余計なもの、って思うんじゃーないか。
それは、キミの生きてきた証だ。「思い出」だ。
人生躓いたくらいで、いちいち、キミの歩んできた道、全てをリセットしちゃうなよー。
それはアカなんかじゃーないんだよ。酒のつまみなんだよ。
それを肴に、今夜も、横丁でいっぱいやろーや
人生、思い出あれば、生きていけるぜぃ*2
ってなわけで、結局何が言いたいのかっちゅうと
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090227
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090302
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090303
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090304
このシリーズで言ったよーに、私、経済学(「世界と無意識」)から転向して、ビジネス(「横丁と思い出」)に来ましたね。
経済学というアカデミアに住んでたとき、もちろん、中沢派だったの。
今、ビジネスの世界で、揉みつ、揉まれつな生活してて、なおかつ、年齢的に2回目の成人式を迎えたからか、横丁で、思い出を肴に、軽く一杯、という松岡派の気持ちがわかりまーす*3。
人間は本来純粋で、躓いたら、きれいに洗い流してリセットすりゃええんよ、なんて、「20世紀がついに撤廃できなかった社会病理」なんよ。
人生躓いたくらいで、いちいち、キミの歩んできた道、全てをリセットしちゃうなよー。
君は君のままで、ええーよー