simpleA記

馬にふつまに 負ほせ持て

なぜ「世界と無意識」が「横丁と思い出」に対立すんのか?

中沢さんって人がいて、その人の本について、松岡さんって人があれこれ語るの。おもろいけど、いろんな予備知識がヒツヨーなので、深入りしないほーがいい。なので、さらっといこう。


松岡さんいわく。

「世界と無意識」を信頼する中沢に対して、ぼくはのっけから逸脱して「横丁と思い出」を信頼しているということでもあったろう。


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0979.html


ね、わけわからんでしょ。そもそも、なんで「世界と無意識」が「横丁と思い出」に対立すんでしょね?そこんとこを、じゅんぐり 見て行きましょ。(要注意:語弊ゾーン突入)


中沢さんを簡単にまとめると、こういうこと。

人間、ホントは純粋なの。


でも、生きてると、いろんなアカがついて、汚れるの。


だから、何か人生で躓いたら、シャワーでも浴びて、全部アカを洗い流して、純粋無垢な状態から再スタートを切りましょ*1


ところが、松岡さんは、シャワーなんて浴びるなよー、と反論すんの。

おい、まて。純粋な人間なんて、いないっちゅーの。


アカだと思うから、汚いもの、余計なもの、って思うんじゃーないか。


それは、キミの生きてきた証だ。「思い出」だ。


人生躓いたくらいで、いちいち、キミの歩んできた道、全てをリセットしちゃうなよー。


それはアカなんかじゃーないんだよ。酒のつまみなんだよ。


それを肴に、今夜も、横丁でいっぱいやろーや


人生、思い出あれば、生きていけるぜぃ*2


ってなわけで、結局何が言いたいのかっちゅうと

http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090227
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090302
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090303
http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090304


このシリーズで言ったよーに、私、経済学(「世界と無意識」)から転向して、ビジネス(「横丁と思い出」)に来ましたね。


経済学というアカデミアに住んでたとき、もちろん、中沢派だったの。


今、ビジネスの世界で、揉みつ、揉まれつな生活してて、なおかつ、年齢的に2回目の成人式を迎えたからか、横丁で、思い出を肴に、軽く一杯、という松岡派の気持ちがわかりまーす*3


人間は本来純粋で、躓いたら、きれいに洗い流してリセットすりゃええんよ、なんて、「20世紀がついに撤廃できなかった社会病理」なんよ。


人生躓いたくらいで、いちいち、キミの歩んできた道、全てをリセットしちゃうなよー


君は君のままで、ええーよー

*1:「人間の精神に「純正レベル」というものを措定するから、そこからはみ出たものや分裂したものを病理と扱う」

*2:「そもそも意識や無意識の関係を複合的な関係に見るのなら、医師と宗教家を含めて、早々にその複合関係の中に入ったままに事態や問題を顧みるべきではないか」

*3:実際、あんまし飲みにいかないし、晩酌ってのもしないほーなんだけどね