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simpleA記

馬にふつまに 負ほせ持て

そんなちっぽけなフィクションを信じられんのか?

(ネタバレ含むので、前回のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20110123)とは、別エントリにしといたの。ネタバレ自己責任で。)


スノードーム

スノードーム

スノードームという本は、2つの大きなストーリーが交差してますね。

  • エックマンを主人公とした、「ひん曲がった愛の物語」
  • クリストファーを主人公とした、「極小な大海へ船出する冒険物語」


ひん曲がり系は、http://d.hatena.ne.jp/toratoratigers/20050303でも関連づけられているよーに『オペラ座の怪人』をはじめ、似たようなテーマが、ほかのいくつかの作品の中にも見られますね。さらに、結構、ネットでニュース見てれば、世の中、「ひん曲がった系」しかおらんのかよ、と思っちゃうくらい、日常茶飯事よね*1。なので、よっぽどすごいことでもやらかしてくれない限り、「おぞましー」とは思えず、むしろ「おれも一歩間違えばヤヴァイかも」って同情票を集めるんだろーと思う。


なので、「エックマンはひどい、でも同情しちゃう」という感想が巷に広まったんだろー。つまり、エックマン級の「ひん曲がり」は、私たちの日常では許容範囲になってる可能性が大きい。*2


そんで、

そこには芸術を通してしか世界と関わることができず、人間的な交わりや愛を経験できなかった者の願いが描かれている。 *3

という、アレックス・シアラーさん(作者)の「まえがき」っぽいところを読む限り、この物語は、この「ひん曲がり系」を主題としたものらしー。


ところが、作者の意図がどぉであれ、本(テキスト)が直接私に語りかけてくるわけで、少なくとも、私の心には、第2の「冒険物語」が、大きく鳴り響いたよ。


エックマンが死んだ日、クリストファーは、スノードーム内に父親とポッピーと娘を見つけた。(p.390)「見つけた」って言ったって、それは顕微鏡で見なきゃ分からんよーな、極小の世界。つまり、顕微鏡を覗いて見たら、そのスコープ内に、こっちに向かって手を振ってる父ちゃんがいた、という「ウソのよーなホントの話」。


顕微鏡を通してしか見えないような世界に、最愛の人たちがいた、なんて、キミね、そんなちっぽけな「フィクション」を信じられるのか?


ところがクリストファーは、それを信じたわけさ。だけど、その過程は、平坦じゃーなかった。

ほとんど狂気としかいいようのない感情が激しくわき起こった。完全な、絶対的狂気。すべての理性と精神的統制の喪失。視野に映るすべてのものが血の色に変わった。やがてそれがゆっくりと晴れていきクリストファーはとうとう、なにが起こったか悟った。恐ろしいほど明確に、はっきりと理解したのだ。


シアラーさんは、「理解した」と書いてるけど、実はクリストファーは「信じた」。誰よりも、何よりも、自分自身の経験を「信じた」。目の前の極小人は父親そのものであり、それを目撃した僕は、真冬の夜明け前より冷やかに現実的であるっちゅうことを。気が触れた僕が、常識ではありえない現実を作りだしたっちゅうわけじゃーなく、常識ではありえない現実が、僕の不完全な正気ってもんを揺さぶっちまっただけなんだと。


これまでにも何度か引用しているよーに、

信ずるってことは責任をとること


小林秀雄講演 第2巻―信ずることと考えること [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)

っちゅうことやったね。なので、当然、顕微鏡の世界の中に最愛の人達を見つけた、と信じるクリストファーは、責任をとるべきだ。*4


はじめ、光の減速器の作用で極小に縮められたので、それを逆にする装置を作りだそうとした。つまり、光の減速を緩め*5るかなんかして、父親たちを元の大きさに戻すって装置を。


だけど、失敗した。原理的に不可能だったわけでじゃーなく、彼の能力に問題があったわけでーもない。ただ単に、時間がなかったんだね。(http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20110123 参照)


顕微鏡の世界の中に最愛の人達がいることを信じてるっちゅーのに、彼らを救出する装置を作り出すには、時間が足りなーい。


ならば、唯一責任をとれる方法があるとすれば、それは、自らが小さくなって、父親たちに会いにいくことだろー。なぜなら、エックマンから、減速器の原理や使い方は伝授されていて、なおかつ、何度もテストを繰り返して、実用的であるっちゅうことを、(これまた)信じちゃってるんだから。


ここで、クリストファーは、船出の準備を進めた。

長いことかけて、準備して、・・・


なるべく自給自足できるように、いろいろなものも用意しました ―たとえば作物を育てたり、大気から水分を抽出して水を作る装置など― だから、かなり長いあいだ、それでやっていけるはずです。


pp.412-413


そして、長い航海の末にたどり着くであろう「約束の地」として、チャーリーに期待したわけやね。チャーリーなら、このフィクションを信じてくれて、いざというときに、物資を供給してくれ、かつ、「光の減速器の作用を逆にする装置」の研究を引き継いで、いつかは実現して、救出してくれるはずだと。


準備が整ったクリストファーは、姿を消した。チャーリーにある原稿を残して・・・



ここまで来て、私は、コロンブスを思った。


これまた、何度か引用してんだけど、も一度、引用しとくね。

コロンブスのアメリカ発見について、そもそも彼の偉大な点はどこにあるか・・・


それは西回りのルートでインドへ旅行するのに、地球が球形であることを利用しようというアイディアではなかった・・・このアイディアはすでにほかの人々によって考えられたものであった・・・


彼の探検の慎重な準備、船の専門的な装備などということでもなかった。それらのことは、ほかの人でもやろうとすればやれたに違いない。


そうではなくて、この発見的航海で最も困難であったことは、既知の陸地を完全に離れ、残余の蓄えでは引き返すことがもはや不可能であった地点から、さらに西へ西へと船を走らせるという決心であったに違いない。

Heisenbergさんの『部分と全体』(ISBN:4622049716)より勝手に改行付き


クリストファーの冒険物語が、私を魅了する点はどこにあるのか?


それは、クリストファーが、光の減速器を使って、自らを極小化するというアイデアではなかった。これは、そもそもエックマンが作り出したものである。


彼の自給自足を確立しておくという用意周到さでもなかった。


そーではなく、クリストファーの冒険で最も注目すべきことは、「顕微鏡のスコープ内に最愛の人達を見た」という、たったそんだけの自分の経験(≒ちっぽけなフィクション)をかたくなに信じ、彼らに再会するには、減速器を自らに向けて放射するしかない、という決心であったに違いない。


コロンブスは、自分を信じた。クリストファーも、自分を信じた。*6


クリストファーをそこまで信じさせたのは、「愛」なんだから、スノードームはどのみち「愛」の物語なのよ、というオチでも構わん。


けど、私は、スノードームっちゅうのは「ちっぽけなフィクションを信じて、極小な大海へ船出しちゃった冒険物語」なんだ、と信じるよ。そして、その主題は、あくまでも、「自分を信じる」ことであり、また、その結果に「責任をとる」ということなんだと思うよー。


ってなわけで、結局何が言いたいのかっちゅうと、「スノードームって本ですが、対象は小中学生ってことになってるみたいやけど、まぁ、読んでも損はないと思うよ」ってこと。

*1:言い過ぎ?ひょっとして、らばQの見すぎ??

*2:当然、社会的に見れば、残念なことなんだけどね。

*3:目次の1ページ前の見開き部分より、←ちなみにこの部分はなんて呼ぶのが正しいの?

*4:敢えて言っておくけど、責任を取るってのは、辞任するとか、そういうくだらんことじゃーないよ。結果が何であれ、それを受け入れるってことやよ

*5:加速する、と言っていいのか分からん

*6:偶然か、意図的か分からんが、コロンブスも、ファーストネームがクリストファーじゃーないか、やーね