なんで梅園なのか
来週の今頃は、大分でふぐ食って、酔っ払って、みんなで肩組んで熱唱してんだろーなぁ。
それに向けて、悠ちゃんのとこで、大分でのプランが発表されたんだけど、
<10月18日(土)>
三浦梅園へ(http://www.city.kunisaki.oita.jp/baien/baienmuseum.html)*1
ってとこで、なんじゃ、このアホ連中は、この季節に梅の庭園を見に行くんか、と十発十中、思ったんじゃーないかと。
そこで、言い出しっぺとして、梅園の説明でもしとかんといけないよーな雰囲気になりまして。
梅園っていうのは、梅の庭園とか、そーいうんじゃなくて、三浦(姓)梅園(あだ名)っていう人。この人を、いたってシンプルに紹介すると、大分に住んでたお医者さん。特徴は、あんまし大分の外に出ることなく、ずーっと宇宙について考えてた人。
もうちょっとお時間ある人は、も少し、お付き合いしてね。*2
その昔、末木さんって人がいたんだけど、その人が言うに、
三技博音博士の研究以来*3、梅園はヘエゲル(Hegel) の弁証法の先駆者として喧伝されて来た。当時(と言うのは昭和十年代)、ヘエゲルの名は哲学を代表するものと考えられ、その弁証法は哲学の窮極の方法ないし体系と見倣されて居た。それ故、梅園をヘエゲル弁証法の先駆者と称することは梅園を極めて高く評価したことになる。
ってなわけで、要は「すげー奴が、日本にもいたんだぞ」ってこと。
そんで、末木さんの結論からすると、
三枝博音博士に始まる、梅園とヘエゲルとの類似説については、妥当と考えられる面と妥当でないと考えられる面とがある
ってなわけで、よくありがちな「Neither here nor there」という玉虫ですが、要は「ダメ出し」で、「梅園とヘーゲルは、違いますねぇ」ってこと。(こういうことは、はっきりと、すっぱり言いましょ。)
この際、ヘーゲルなんて、どーでもいいんです。そもそも梅園のことが知りたいんですから。
大分に北林さんっていう鍼灸師がいて、梅園研究を35年以上もやってて、今年の夏(平成20年7月17日)に
書き下ろし直後の『玄語』の復元作業が終了し、pdfファイルとして公開した。
ってなことをした人がいて(、電子化オタクの私としては、見逃すわけにはいかない業績なんですが)、彼のおかげで、http://www.coara.or.jp/~baika/pdf/に行けば、
梅園没後、初めて梅園自筆の『玄語』が読めるようになった
わけ。*4(さらに、この北林さんは、http://www.coara.or.jp/~baika/btron2.htmlにあるように、BTRONをあれこれ、なので、美崎薫さんも何か言いたいことあるかもしんない。)
漢字ばっかなので、読みづらいから、どんどん飛ばして、こんな感じの絵だけを見てみると、気が楽チン。
さて、その北林さんによると、梅園の未完の主著『玄語』は、
必ずしも難解な書物ではない。それは地球生態系の論理的映像であり、人間的諸活動をも含めた「環境世界」の構築理論となりうるものである。
ってなわけで、要は、「世の中って複雑でしょ。だから、絵にしてみました」ってこと。
さらに、北林さんは補足として、
ヴィトゲンシュタインは「事実の映像」(あるいは「実在の論理絵」)という思想を得ながら、自らそれを描くことをしなかった。それは彼が思索に用いた文字がアルファベットだったからであると推測される。梅園は、奇しくもヴィトゲンシュタインがこの着想を得たのと同じ29歳に、世界の論理モデルを描きうるという確信を得ている。梅園にそれが可能であったのは、思考に用いた文字が漢字だったからであると推測される。
ってことを書いてるんだけど、そもそも漢字をあんまし読まない私は、北林さんの主張の真偽が分からん。ヴィトゲンシュタインも出てきたことだし、また来年、札幌に行って、三ちゃん(id:elmikamino)に教えてもらいましょ。
ってなわけで、結局何が言いたいのかって言うと、「私にとって梅園は、シンプルのセンセーなわけ。複雑な世の中をみて、たった一つの原理で何でも説明しよーなんてアホなことはしなかった。でも、できるだけシンプルな絵にしようとした。その努力が好きだったので、ぜひとも、梅園資料館に行きたいんだ。行かせてちょーだい」ってこと。