読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

simpleA記

馬にふつまに 負ほせ持て

有事に際し、2冊の本が心に浮かんだ −「意地」編

青い鳥のゆくえ (角川文庫)

青い鳥のゆくえ (角川文庫)


チーズはどこへ消えた?

チーズはどこへ消えた?


どちらも、今から10年ほど前、「さーて、これからどーすっか?」という時に、ふと、手にしたもの。そして、どちらも、ぺらっぺらっな本なので、30分もありゃ、読めちゃう便利なもん。


今日は、とりあえず、「青い鳥のゆくえ」を処理しちゃいましょ。


「青い鳥」ってのが、意外にも、超のんきなハッピーエンド物語じゃーないんだよ、って部分は、前回(http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20110330)処理済みだよーん。なので、いきなり暗部から始めましょ。

戦後五十年*1、それから大世紀末という時代の中で、いま私たちの目の前にはなんにも見えていないんです。青空も見えてない。低くたれこめた雲の中に光さえ見えない。見えたと思っても、それは幻なんです。蜃気楼なんです。(p.48)


それに対して、「青い鳥」という本を書いたメーテルリンクは、

どうしなさいということを、自分の言葉で言ってはくれません。つまりできあいの既製服のように、さあ、だからこうしましょう、というふうにノウハウを教えてくれているんじゃないんです。

・・・

つまり、自分で考えなさいと言ってるんです。(p.40)


それを受けて、五木さんは、

私たちはいま、大変なところに立っているのかもしれません。その焦土に、できあいのぬいぐるみのような希望とか、ぬいぐるみのような幸福、あるいは絵にかいたような青い鳥なんかは、給食のようにむこうからは配ってもらえないんだ、それはやっぱり自分でつくりあげなけりゃしかたないんだ。(p.50)


みんなそれぞれが、ひとりひとりが違う答をもって生きていかなきゃいけない。(p.48)

と言ってる。五木さんよ、お前もか。俺たちを見捨てるのか。。。


ところが、


五木さんは優しいのか、それとも中途半端なのか知らんが、本の前半部分で「メーテルリンクは自分で考えろって言ってんだよー」と私たちを突き放しつつ、後半部分で「僕はこーすんのがいーんじゃーないかと思ってるふしがあるんかもしんないよ」とぼやけたヒントをほのめかす。*2


残念ながら、五木さんのほのめかすヒントは、個人的に気に食わない。なので、割愛すっから、興味ある人は、自分で確かめてーね。


ってなわけで結局何が言いたいのかっちゅうと、

「自分で考えなさい」と言う、メーテルリンクも、五木さんも、決して私たちを見捨てたわけじゃーない。「時代の流れが変わったから、そーしなさい」と言ってるわけでもない。今も昔も、やっぱ自分で考えないといけないわけさ。


近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平』によれば、

近世前期(〜18世紀第一四半世紀)の武士の生は、激しい「意地」によって貫かれている。・・・近世武士にとって、戦いはあくまで個人を単位としたものであり、そのなかで一個人としての技芸と武勇と的確な判断を要求されるものであった。


誰にも頼れない状況の中でも的確に戦うことのできる、自律的な個の心情 - それが武士の「意地」の原型である。


http://www.nozomu.net/journal/000010.php

ってことらしー。*3


ずいぶん小難しー言い回しだけど、要は、政府が「安全だ」と言っても信じられない。TVも新聞も、信じられない。ネット上だって、どれが本当なんだかわかりゃしない。そんな「誰にも頼れない状況の中でも的確に戦う」ためには、そりゃ、あんた、「自分で考える」しかねーでしょ、ってこと。それが「意地」なんよ。


そーいやー、当たり前やね。

ってこと。

*1:1995年の本だからね

*2:宗教っぽい手法だな。←五木さんファンの人、ごめんなさい

*3:この引用部分だけで分かった人がいたら、すげー。なので、できれば、実際にこの本読んでみてね。とても良い本。特に、「時には「法」を犯してまでも、「意地」を守ることを彼らは要求されていた」ということの論証部分、必読。