斬り捨て御免
さて、なんで新年早々、自由(≒御免)の話(http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090117)をしてんのかっちゅうと、最近何かと、解雇が話題だから。
一体全体、会社ってのは、解雇する自由を持ってんでしょか?*1というよーなことを考える場合、「自由」ってなんじゃら?ということが重要なんじゃーないかと思うわけ。
だって、もし仮に、「自由」=「何しても構わん(≒身勝手)」という感じだったら、そりゃ、さすがに、
会社は、解雇する自由なんて持ってませんよー、社会に対する責任があるんですから、そんな身勝手な行動は許されませーん
的なお話が出てくるのが当然で、そりゃそーだ。こんな感じで目くじら立ててる人が、結構多く見受けられるよねん。
ところが、前回も見たよーに、「民法の父」こと穂積さんは、福沢諭吉さんの考えを紹介しながら、何気なーく、自由っちゅうのは、「何しても構わん(≒身勝手)」ということでは決してなく、「御免」的意味合いもあったんよ、ってことを説いている。
その「御免」っちゅうのを理解するために、「斬り捨て御免」をよーく考えて見ましょ。
前回、「斬り捨て御免」ってのは、「斬って殺しちゃったけど、ごめんね(≒sorry)」ってことじゃなーいんだよ、ってことはすでに確認したよね(おそらく)。
この場合、「御免」ってのは、謝ってんじゃなくて、「お上から許可が出てんよ」ってくらいの意味。*2
じゃぁ、「お上から許可が出てんよ」ってんなら、そこらじゅうで、バッサバサ斬り倒しても特に問題にならなかったのかどうか、ってのが重要なわけさ。
江戸時代に農民や町人が武士に理不尽に切り殺されたりすることってよくあったんですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311402838
ってなことを質問してる人がいんだけど、そこんとこ知りたい。
このYahoo知恵袋の回答をどこまで信用していいのか分からんけど、とりえあず、「そんなわけねーだろ」ということらしい。banbanbanzanさんによれば、
農民を斬った武士が「斬った農民が確かに自分の体面を傷つけた」という事を証明できないと切腹させられるハメになります。
ようするに単なる殺人罪というわけ
らしい。
同様に考えれば、会社ってのは、仮に「解雇御免」が認められてたとしても、それ相応の理由をもってないと、やっぱまずいわけです。身勝手に解雇をしたら、それは約束違反で罪に問われるんじゃーないかと。
ところが、私は今ここで、こんなかなーり常識的なことを言いたいわけじゃなーい。
何が言いたいのかっちゅうと、banbanbanzanさんの回答をよーく読んでみると、武士は自分が斬って殺しちゃったことを正当化するために、「自分の体面が傷つけられたんだ」という事を証明しなくちゃならんらしい。
重要なので、繰り返しましょ。「自分の体面が傷つけられたんだ」という事を証明しなくちゃならんらしいんです。こういう感覚のズレは、見逃しちゃーいけないんだと思うんです。些細なことですが、おおごとの予感です。
さて、(身勝手ながら)ここで話は「自由(≒御免)」から、「体面(≒一分(いちぶん))」に移ろーと思うんですが、(身勝手ついでに)今週末から、三ちゃん(id:elmikamino)、比嘉ちゃん(id:Ryu-Higa)、その他札幌のみなさんと一緒に、ヨッシー(id:future-human)を応援する会@雪のサッポロ*3っちゅうのをやってくるので、その間、キムタクさんのwikipedia:武士の一分でも、見てください。良い映画です。
ってなわけで、今日のところは何が言いたいのかって言うと、「斬り捨て御免っていっても、身勝手に殺したりしちゃーいけない。これ常識。でも、どうやって正当化すんのか、ってときに出てくるものの中に、「体面」ってもんがある。これは現代の常識では、あんまし理解できんこと(のよーな気がします)。なので、私の探求は、一分(いちぶん)の方へ向かっていくんです」ってこと。